「ryo サラダスプーンとフォーク」
製造:田三金属 監修・仕上:竹俣勇壱 デザイン:猿山修 制作:竹俣勇壱、ギュメレイアウトスタジオ

「セラミックワァクスフォアテイブル 大皿」
製造:大屋窯 監修:井山三希子 デザイン:猿山修 制作:ギュメレイアウトスタジオ

salad spoon and fork from the series of cutlery “ryo”
metal works: tasan-kinzoku, supervision + finish: yuuichi takemata, design: osamu saruyama, production: yuuichi takemata+guillemets layout studio

plate from the series of “ceramic works for table” plate 1 large
ceramic works: ooya kilm, supervision: mikiko iyama, design: osamu saruyama, production: guillemets layout studio

「小ささの理由」
例えば、畳の四畳半の部屋。四畳半はいつまで経っても四畳半。それなのに、お客さんを招いて応接室かと思えば、ごろりと寝転がって本を読んだり、そうかと思えば簡素な台を出してきて、ごはんを食べたりもする。食べ過ぎたと思ったら、柔軟体操だって出来るし、一日の終わりには布団を敷いて寝室に早変わり。四畳半という以外、使い方の決まりも何もない。四畳半には押入れという強い味方がいて、使わないときはそこへ何でも仕舞ってしまえば、四畳半はまた何でもない空間に戻るのだ。そこで何をしてもいい、自由が一緒に戻ってくる。
例えば、少し小さなスプーンとフォーク。欧米ではサラダに使う大きさなのだという。メインに使うそれはもっと大きい。持っている空間も食卓も、そして手も口も、そう大きくはない日本の私たち。器も色々だし、料理だって、その食べ方だって様々だ。何料理だとかどんなスタイルだとか名前の付けられないものも少なくない。私たちは工夫が大好きだ。そんな私たちに相応しいカトラリーがあっていい。普段の食卓で料理は順々に出ては来ない。いくつか小鉢が並んだり、大皿料理を取り分けたりして色々な料理を同時に食べる。大抵、食事中はひとつの箸を使う。箸は何用とは決まっていない。そんな箸のようなカトラリー。和食器にも洋食器にも、またどちらとも言えないような器にも違和感なく添い、食卓でも邪魔にならない。お腹に余裕があれば、デザートにだって使える。実際に使ってみれば、拍子抜けするくらい、この大きさで事足りるということに気が付くはずだ。料理も器の取り合わせも私たち流なのに、カトラリーだけ欧米と同じである必要はない。
日本的なるもの。構造は変わらないのに機能が変化していく。知恵の関わる余地のあるもの。何かのために与えられたものではなく、ここにあるものをどう使うか。小ささの後ろには豊かな可能性が広がっている。畳の四畳半に、少し小さなカトラリーはよく似合う。
――山本千夏