煙草展というと、苦い顔をされることがある。
禁煙全盛の世の中だから仕方ない。
私自身、煙草をテーマに展覧会を企画しているが、特に喫煙推進というわけではないし、煙草も吸わない。
ただ、世の中がひとつの答えに染まってしまうことには何か嫌な感じがする。
古くは薬としても用いられていた煙草が、今は百害あって一利なしと言われるようになり、本当にそうなのかどうか、議論の余地はほとんどないように見える。
灰色のものは排除して世の中が無菌状態になれば、皆幸せになれるのだろうか。
しかし、副題を -余計なもの、あるいは必需品- としたのは、煙草の賛否がこの展覧会のテーマではないからである。
そのことは個人がそれぞれ考えて選択すればよいと思う。
そこでなぜ煙草なのか。
煙草道具によく見られる無駄なこだわりや美意識のようなものに、どうも惹かれるようである。
機能に限定されない魅力。広い意味で装飾的なもの。
そしてその二面性。
毒、あるいは薬 というのは、あらゆる美しいもの、魅力的なものが内包する要素ではないだろうか。
毒のないものは薬にもならない。
そもそもこの展覧会を企画したのは、煙草に代表される余計なものとされがちなものが、想像以上に大事なのではないかと思ったからである。
必要最低限だけで生きるのは、どうやら難しそうだとつくづく思う。
ここでいう必要最低限とは、文字通り最低限命をつなぐためのものという意味においてである。
違う言い方をすれば、なくても生きていけるものの必要性に思い至ったということである。
これから先、何度もそう再認識すると思う。
例えば、指輪はどうだろう。
ただの装飾品とも言えるし、それがお守りのような存在になり、肌身離さず身に着けるということもある。
ものがあるひとにとってはただのものではなくなる。
案外そういうものに助けられて生きている。
ご出品頂く方々には、煙草の持つ二面性というところに重点を置き、煙草道具としても使え、また同時に煙草のない日常生活にも使えるようなもの、もしくは煙草道具でなくても、もの自体が用途や意味において二面性を持っているものを制作、出品頂く予定である。
今回出品されるものそれぞれが、だれかにとっての必需品になったら嬉しいと思う。
- Gallery Yamamoto 山本 千夏
「 煙草 」 展 -余計なもの、あるいは必需品-
濱中史朗 竹俣勇壱 金森正起 omoto 猿山修
・Gallery Yamamoto
2011.9.10(土)-19(月・祝) 11:00-17:00 会期中無休
・さる山
2011.9.23(金・祝)-25(日) 13:00-18:00 会期中無休
*内容は会場により異なる場合がありますので、ご了承下さい。