その掛け時計には文字盤がない。丸いアルミニウムの盤にほっそりとした針。どちらも素っ気ない銀色。元に戻したのか、先に進めたのか、手を加えたというより引いたといったらよいだろうか。必要であると思っていた幾つもの要素は、実は不要であったと知らされる。振り子の音がここちよい。目に耳に時を刻む。
元は1960年代から80年代にかけてつくられた機械式柱時計であったらしい。ゼンマイ式のそれは、クオーツ式にとって代わられるまで、日本の一般家庭で当たり前に使われていた。そして今、アンティークとしての価値が認められることはほとんどない。しかしその軽妙な音を伴って動く機械の精度の高さ、美しさに、猿山修は惹かれた。その人が心動かされ、時計は再び動き始め、今度は私たちが動かされることになる。
猿山修のpersonal productsが魅力的なのは、それが文字通り‘私的なもの’であるからではないだろうか。その人が実際に人に出会い、ものに出会い、そこに何かを見て、何かをつくること。親密なやり取り。その答え。その背景にはその人の暮らしが、偏っているといっても過言ではないその人の好みが、色濃く反映されている。私的であることを徹底することは、普遍に通ずる数少ない方法のひとつであることをその人は知っている。
その時計は淡い一色に塗られた箱に入れられ、ガラスの板で覆われている。時間は過去から未来へ一定方向に流れているようであるが、この箱の中には昔と今が平気な顔で共存している。 -山本 千夏
「私的なプロダクツ」展
会期 2011年1月31日(月)より2月5日(土)
会期中無休 12時より19時(最終日は17時まで)
主催・会場「ギャルリーワッツ」
東京都港区南青山5-4-44ラポール南青山103
03-3499-2662
http://www.wa2.jp
https://guillemets.net/saruyama/events.html
協力/株式会社東屋、株式会社東青山、Gallery Yamamoto
タグ: TIME & STYLE
「些細なこと」制作手記として
01
禅宗で使用されている食器は、材質を鉄または土が本則とされ木製は禁じられているけれど、漆をかけたものは鉄製とみなすとして一般には黒塗りの漆器である、そうだ。つまり、鉄器に見せかけた代用品である。
漆器の歴史に於いて、繊細な挽き物の技術と落ち着いた滑らかな塗りによって金属器を模すという試みが繰り返し行われた。このことは木の器を基本として来た我々の感覚に、どのような影響をもたらしたのだろうか。
洋食器が、先行する金属器よって与えられた輪郭を追いながら発展し、陶器から磁器へと移り変る過程で、より鮮明に、より薄く、より均一なものを求められて来た。和食器に於いては上記の点と重なりながら、さらに独特の要素が思い当たる。手取り感と軽さである。
日本では、器を手に取り直接口をつける食事作法を持つけれど、箸を使う朝鮮や中国でも、これは無作法である。こうした習慣の背景には、熱が伝わりにくいという性質を持つ木の器を、我々が長い間使用して来たこともあるだろう。
日本の陶磁器には、土の性質からだけではない、これらの影響を見ることが出来るのだ。この地で好まれる、無理に力がかかっていない曲線を描いた輪郭線。明確な線を持ちながら柔らかさを持った面。手取りの軽さ。
漆器に於ける、繊細な挽き物の技術と落ち着いた滑らかな塗りによって金属器を模す、という試みを磁器製品開発に持ち込めないだろうか。輪郭を形成する無理のない線。明瞭に、けれども鋭くなりすぎない面のつながりや使い勝手に沿って配置された部分を追いつつ、古典が持つ機能性と意匠を探る。
“KAORU” タイムアンドスタイル ティーサービス
製造:光春窯 デザイン:猿山修 ブランド:タイムアンドスタイル 制作:東屋
ceramic works: koushun-gama, design: osamu saruyama, brand: time & style, production: azmaya