「さる山」は道具屋です、やはり古い道具はネタになりますね。こちらでもその辺りについて少々書いていこうと思い、このタイトル。
永らく共にものづくりをしているK氏と、
「これいいよね」
というものに、明治から昭和にかけて多くつくられていた京都の踏台があります。
建築材料の安価な材を用いて大工が施主への贈物としてつくったのでしょうか。丸太から板を製材する時、樹皮に近い部分は捨てられてしまうことも多々あるようですが、辺材耳付きと云われるその部分を利用して上手い具合に座板と脚がつくられています。四方転びという技法(厳密に云うと違うのですが)に基づいて取付けられている、文字通り四方に広がっている脚が開きすぎないよう、薄板(これも余り物の材料でしょう)の貫も入っていて、見事に材料費を只同然のもので集めていながら好い顔をしたものに仕上がっています。天板も脚も耳の部分が丁度面取りされた様になって、すっきりと見え、強度も充分得られる様に配置されています。欧風のテーブルとあわせると少々低めですが、腰掛けにも使用出来る優れものです。貫ホゾ仕上げをしているので、グラグラして来たら接合部分にくさびを打ち込み、しっかりと直せるのです。家具用の材料でなくとも永く使えるように、よく考えられた良品です。最近手に入れることは難しくなりましたが、店に古道具を並べるようになって一体いくつ集めたことか。
K氏とは、踏台も制作していますので、この京都発の名品もあわせて「さる山」でもご紹介していけたらと思っています。
猿山修
カテゴリー: 『些細なこと』
OPENERS
明日から始まる辻野剛展 「ガラス/透過」について、Web Magazine “OPENERS” にアップしております。宜しければ、覗いて下さい。
http://openers.jp/interior_exterior/saruyama_osamu/saruyama_37320.html
良薬口に苦し
煙草展というと、苦い顔をされることがある。
禁煙全盛の世の中だから仕方ない。
私自身、煙草をテーマに展覧会を企画しているが、特に喫煙推進というわけではないし、煙草も吸わない。
ただ、世の中がひとつの答えに染まってしまうことには何か嫌な感じがする。
古くは薬としても用いられていた煙草が、今は百害あって一利なしと言われるようになり、本当にそうなのかどうか、議論の余地はほとんどないように見える。
灰色のものは排除して世の中が無菌状態になれば、皆幸せになれるのだろうか。
しかし、副題を -余計なもの、あるいは必需品- としたのは、煙草の賛否がこの展覧会のテーマではないからである。
そのことは個人がそれぞれ考えて選択すればよいと思う。
そこでなぜ煙草なのか。
煙草道具によく見られる無駄なこだわりや美意識のようなものに、どうも惹かれるようである。
機能に限定されない魅力。広い意味で装飾的なもの。
そしてその二面性。
毒、あるいは薬 というのは、あらゆる美しいもの、魅力的なものが内包する要素ではないだろうか。
毒のないものは薬にもならない。
そもそもこの展覧会を企画したのは、煙草に代表される余計なものとされがちなものが、想像以上に大事なのではないかと思ったからである。
必要最低限だけで生きるのは、どうやら難しそうだとつくづく思う。
ここでいう必要最低限とは、文字通り最低限命をつなぐためのものという意味においてである。
違う言い方をすれば、なくても生きていけるものの必要性に思い至ったということである。
これから先、何度もそう再認識すると思う。
例えば、指輪はどうだろう。
ただの装飾品とも言えるし、それがお守りのような存在になり、肌身離さず身に着けるということもある。
ものがあるひとにとってはただのものではなくなる。
案外そういうものに助けられて生きている。
ご出品頂く方々には、煙草の持つ二面性というところに重点を置き、煙草道具としても使え、また同時に煙草のない日常生活にも使えるようなもの、もしくは煙草道具でなくても、もの自体が用途や意味において二面性を持っているものを制作、出品頂く予定である。
今回出品されるものそれぞれが、だれかにとっての必需品になったら嬉しいと思う。
- Gallery Yamamoto 山本 千夏
「 煙草 」 展 -余計なもの、あるいは必需品-
濱中史朗 竹俣勇壱 金森正起 omoto 猿山修
・Gallery Yamamoto
2011.9.10(土)-19(月・祝) 11:00-17:00 会期中無休
・さる山
2011.9.23(金・祝)-25(日) 13:00-18:00 会期中無休
*内容は会場により異なる場合がありますので、ご了承下さい。
「みずとこめに」 私感
松本 池上邸の米蔵にて、5/28.29、「みずとこめに」が無事終了した。
当初、米蔵内ではインスタレーションのみ、庭を使って珈琲等の提供をと考えていたものの、両日とも天候に恵まれず、そのほとんどを蔵内で行うこととなった。
しかしそもそも、みずもこめも雨が降らなければ私たちにもたらされることはないもので、天候に恵まれずというのは、いかにも罰当たりな言い方かもしれない。
蔵内の明かりは、扉や窓を少し開けたところから入ってくる弱い陽の光と、珈琲提供のためにひとつの電球、所々に置かれた蝋燭に限られた。
外が晴れていればそのコントラストはより大きなものになったであろうが、曇りや雨でも、外から蔵に入ってくると、目が慣れるまで意外に時間を要する。
入り口のところで戸惑う様子の方が多くいらした。
動作はゆっくりになるし、なぜか小声になる。入っていいのですか?というようなことを何度も聞かれた。中にはなぜこんなに暗くしているのかと苛立っている方もいらしたけれど、この暗さは大切な要素だった。
外から遮断された暗いところに入るのは怖いのだ。
しかし、ここにはそれ以外に人を驚かしたり怖がらせたりする要素は何もない。ただ静かに器が並べられ、みずとこめが盛られて、蝋燭が灯されているだけだ。あとは珈琲のよい香りが漂っているだけ。
器は家に持って帰れば日常にすぐに使える。みずやこめを初めて見るという人はほとんどいないだろう。もちろん、1日に1回は夜がきて、私たちは暗闇に包まれる。
そんな当たり前の集まりに、なぜ、何か異なるものを感じるのだろう。何が違うのか。
この蔵の中にあるものをバラバラにして生活に散りばめたなら、難なく馴染むだろう。
それがある形である組み合わせである空間に設えられると、何か異質なものになる。
この異なるものは設えた者でさえ、必ずどこかコントロールし切れないものであろう。
だから自然なのだ。
今日も夜はやってくる。
あらゆることが明るさの前に提出されようとしている。
しかし、闇がなければ明るさもなく、明るさばかりが増長すれば、闇もその分深くなる。
当たり前を大事にして、異質なものを忘れずに居たい。
―山本千夏(Gallery Yamamoto)
食卓四景
あの銀のスプーンは今どこにあるのだろう。
食器棚の引き出しか、引越しのときに置いてきたのか、誰かにあげてしまったのか。
初めて黒いバニラビーンズの入った白いアイスクリームを食べたときは衝撃的だった。白いと書いたが、もっと黄身の色をしていたような気もする。ガラスの器に盛られ、小さな銀のスプーンで食べた。とにかくとても濃厚でおいしくて、これが本物のアイスクリームだ、と幼心に確信した。どんな食事のデザートだったのか、食事の内容は全く覚えていない。
風邪をひいたときに食べる玉子のおじやはどうして特別おいしいのだろう。銀のスプーンでひとくちずつ、あたたかさがお腹の方に下りていく。食欲がないと思っていたのに、気が付くとお椀に一杯食べている。具合の悪い方がおいしく感じるなんて何だかおかしいけれど、そこにはお米と玉子の他にやさしいひと匙が入っているのだろう。
考えに行き詰ると、いつもと少し違うお茶を飲んでみようかと思う。レモングラスはハーブティの中でも癖がなく、すっきりしていて、文字通りレモンの爽やかな香りによい考えが浮かびそうな気がする。カップの中で銀のスプーンをぐるぐる回す。頭もぐるぐる回る。スプーンに付いたはちみつを口に含むと、固まっていた頭がふっとゆるむ。
男も女も、老いても若くても、嬉しくても悲しくても、ひとは毎日食べる。忘れられない風景も何気ないいつもの風景も、全部で毎日は出来ている。器やカトラリーはその風景のディテールであり、また風景の入り口でもある。銀のスプーンはこれからもうひとつ、新たな風景がはじまるのを待っている。
- 山本 千夏
「食卓四景」 “4 scenes for table”
2010年5月29日(土)より6月6日(日)迄「それぞれが考え、使う食事の道具」 猿山修と井山三希子
西荻窪から始まった古道具さる山の店主であるとともに音楽活動やデザインを行う彼と八年前 ceramic works for table という食器シリーズの提案を致しました。今回は二人で一つのものを作るのではなく、それぞれの食生活の違を考え、お酒を飲み、ほぼ菜食生活の猿山、一方まったくお酒は飲めず、自分で器を作る仕事をしながら、家では古い器や他の同業者の器を集め使う井山が、それぞれの食事のシーンを見て頂く企画を考えました。 ―井山三希子
朝食/井山 パン、ヨーグルト、紅茶
木のプレスプレート 古物/北欧皿
カトラリー 古物/北欧フォーク・ナイフ
バターケース 古物/北欧ガラス
カップ 辻和美/ガラス
紅茶のポット 吉田直嗣/陶磁
紅茶のカップ 岡田直人/陶磁
ジャム入れ 加藤かずみ/陶磁
ヨーグルト 井山三希子/陶磁
夕食/井山 ご飯、お味噌汁、漬物、煮物、取り皿、湯呑
飯茶碗 村木雄児/陶磁
味噌汁碗 上泉秀人/陶磁
漬物皿 古物/猿投山皿
煮物 吉田直嗣/陶磁
湯呑 勝部亮一/陶磁
取り皿 井山三希子/陶磁
昼食/猿山 パン、スウプ、サラダ、パスタ
ワイングラス/タンブラ 辻野剛/ガラス
ジャグ マティアスカイザー/陶磁
バターナイフ 永井理明+猿山修/金工
バタープレイト 佐藤江利子/金工
ランチョンマット 仁平幸春/染色
パスタボウル 新宮州三/木工・漆
スウププレイト、またはボウル 伊藤環/陶磁
サラダボウル 岡田直人/陶磁
スプーン 佐藤江利子+猿山修/金工
竹箸、または木地箸 東屋/竹木工
晩酌/猿山 シェリーまたは日本酒、チーズ、オリーヴ
シェリーグラス 濱中史朗+猿山修/陶磁
チーズプレイト 金森正起/金工
オリーヴプレイト 濱中史朗/陶磁
フォーク 佐藤江利子+猿山修/金工
この展覧会は「さる山」での展示の後、かたちを変えながら下記の8ヶ所の会場へ巡回します。 詳細は各会場にお問い合わせ下さい。
「食卓四景」 巡回展会場アイコインシデンタリー
9300052 富山県富山市五番町8-2
電話076-422-1758
i-coincidentally.com
2010年6月12日(土)より20(日)
11:30- 19:30 会期中無休
茶房日々
4312102 静岡県浜松市北区都田100
電話053-428-0180
web.me.com/sabou.hibi
2010年7月24日(土)より8月8日(日)
12.:30- 21:00 日曜のみ18:00まで 水休
tent
0200013 岩手県盛岡市愛宕町23
問合せ先 carta
電話019-651-5375
carta.blog.shinobi.jp
2010年9月4日(土)より 12日(日)
11:00- 17:00 会期中無休
1/ 2 demi
8920841 鹿児島県鹿児島市照国町16-9折田ビル3階
電話099-806-1335
demi5n.exblog.jp
2010年11月27日(土)より12月3日(金)
12:30- 19:30 月火休
秋篠の森 月草
6310012 奈良県奈良市中山町1534
電話0742-47-4460
www.kuruminoki.co.jp
2011年1月8日(土)より16日(日)
10:30- 17.30 月曜日のみ16:00まで 火休
ファクトリーズーマ/ショップ
9218032石川県金沢市清川町3-17
電話076-244-2892
www.factory-zoomer.com
2011年2月26(土)より 3月 6日(日)
12:00- 19:00 水休
タドコロガロ
3900803 長野県松本市元町1-3-27
電話0263-36-0985
onjaku-tadokorogaro.com
2011年3月19(土)より27日(日)
平日10:00- 16:00 日、祝日11:00- 19:00 会期中無休
SAKE SHOP 福光屋玉川店
1580094 東京都世田谷区玉川3-17-1
玉川高島屋S・C南館地下1階
電話03-5717-3305
www.fukumitsuya.co.jp
2011年4月15(金)より 24日(日)
10:00- 21:00 会期中無休
personal products
その掛け時計には文字盤がない。丸いアルミニウムの盤にほっそりとした針。どちらも素っ気ない銀色。元に戻したのか、先に進めたのか、手を加えたというより引いたといったらよいだろうか。必要であると思っていた幾つもの要素は、実は不要であったと知らされる。振り子の音がここちよい。目に耳に時を刻む。
元は1960年代から80年代にかけてつくられた機械式柱時計であったらしい。ゼンマイ式のそれは、クオーツ式にとって代わられるまで、日本の一般家庭で当たり前に使われていた。そして今、アンティークとしての価値が認められることはほとんどない。しかしその軽妙な音を伴って動く機械の精度の高さ、美しさに、猿山修は惹かれた。その人が心動かされ、時計は再び動き始め、今度は私たちが動かされることになる。
猿山修のpersonal productsが魅力的なのは、それが文字通り‘私的なもの’であるからではないだろうか。その人が実際に人に出会い、ものに出会い、そこに何かを見て、何かをつくること。親密なやり取り。その答え。その背景にはその人の暮らしが、偏っているといっても過言ではないその人の好みが、色濃く反映されている。私的であることを徹底することは、普遍に通ずる数少ない方法のひとつであることをその人は知っている。
その時計は淡い一色に塗られた箱に入れられ、ガラスの板で覆われている。時間は過去から未来へ一定方向に流れているようであるが、この箱の中には昔と今が平気な顔で共存している。 -山本 千夏
「私的なプロダクツ」展
会期 2011年1月31日(月)より2月5日(土)
会期中無休 12時より19時(最終日は17時まで)
主催・会場「ギャルリーワッツ」
東京都港区南青山5-4-44ラポール南青山103
03-3499-2662
http://www.wa2.jp
https://guillemets.net/saruyama/events.html
協力/株式会社東屋、株式会社東青山、Gallery Yamamoto
猿赤 四ツ碗
本日より東京南青山にて「猿赤四ツ碗」展示販売を行ないます。
踊る人 -赤木明登-
少し前、‘アフォーダンス’という言葉を知った。20世紀、アメリカの心理学者ジェームズ・ギブソンの造語である。‘アフォーダンス’(affordance)とは環境が動物に提供するもの。身の回りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるもの。
例えば、地面の表面はその水平さ、平坦さや十分な広がりによって、(動物の身体を)支えることをアフォード(afford-与える、提供する)する。それを私たちは土台、地面、床などとよび、それらは動物にとっては身体を「支持する」、その上を「移動する」などのアフォーダンスがあるというわけ、らしい。
この言葉を教えてくれたのは、ひょっとこ踊りの好きな塗師である。そしてこの概念は、自然によって与えられ、作り手が器を作り、使い手が手にするという一連の行為を私に思い起こさせた。自然はその性質によって、作り手に器を作ることをアフォードする。そして今度は、作り手の用意した、質感、形状、機能等といったアフォーダンスによって、受け手はまんまとその器を手にしてしまう。その関係性はちょうど入れ子の椀のようになっている。同時に、その椀が組み合わせや使い方次第で、幾通りもの可能性があるように、自然、作り手、器、受け手の関係性は相互に作用し、それぞれにとっての環境と影響はいつでも入れ替わり可能である。
自然や器といった環境から、私たちは次々に与えられ、やり取りをし、共に変化する。いつの間にか境は消失し、ひどいかぶれを経て漆が塗師の体の一部となり生き続けるように、この器は私の一部となるだろう。
奏でる人 -猿山修-
ヴィオラ・ダ・ガンバという、何かの呪文のような名前の古楽器がある。外観はよく似ているが、ヴァイオリン属とは系統の異なる弦楽器である。主に16~18世紀のヨーロッパで、室内楽や教会音楽に用いられたが、演奏形態が変化し、その規模も大きくなると、音量の小さいこの楽器は、その後一旦廃れてしまう。音楽が生活に密着していればしているほど、その様式の変化に影響されるのだろう。しかし、19世紀末からの古楽復興運動などにより、再び演奏され始める。全盛だったその時と、再発見されてからの今日と、この楽器の魅力は変わったのだろうか。
その人は、とても嬉しそうにその楽器に触れる。それから、音を選んでメロディーを重ね、ひとつの曲を作る。昔からある楽器で、ずっと変わらないドレミの音階を使って、初めて奏でられる音の連なり。初めて聴く新鮮さと、前から知っているような懐かしさのようなものが同居する。全てはずっとずっと昔からあり、その人はただ偶然に出会い、今心地良いと思うものを選ぶ。偶然が必然に変わる。きっとそんな風にして、このお椀も作られた。その人は言う、雄弁ではないし、素っ気ないけれど、何だかちょうどよくて美しいと。ヴィオラ・ダ・ガンバへの最高の褒め言葉。そしてこのお椀にも、何のてらいもなく同じ言葉が言えるだろう。結局好きで、いつも当たり前のように同じ曲を聴く。同じなのにいつも違う。
そんな音楽のようなお椀を私は手離すことが出来ない。
―山本千夏(Gallery Yamamoto)
会場/東青山(ひがしあおやま)
キチンと作られた日用品を
少しずつ選んで並べています。
お直しも承ります。
お運びください。
〒107-0062
東京都港区南青山6-1-6 パレス青山1階
03-3400-5525
welcome@higashiaoyama.jp
http://www.higashiaoyama.jp/
銀座線、半蔵門線、千代田線の表参道駅 A5 出口から徒歩約7分
月、火 休み 正午〜午後8時
「些細なこと」制作手記として
01
禅宗で使用されている食器は、材質を鉄または土が本則とされ木製は禁じられているけれど、漆をかけたものは鉄製とみなすとして一般には黒塗りの漆器である、そうだ。つまり、鉄器に見せかけた代用品である。
漆器の歴史に於いて、繊細な挽き物の技術と落ち着いた滑らかな塗りによって金属器を模すという試みが繰り返し行われた。このことは木の器を基本として来た我々の感覚に、どのような影響をもたらしたのだろうか。
洋食器が、先行する金属器よって与えられた輪郭を追いながら発展し、陶器から磁器へと移り変る過程で、より鮮明に、より薄く、より均一なものを求められて来た。和食器に於いては上記の点と重なりながら、さらに独特の要素が思い当たる。手取り感と軽さである。
日本では、器を手に取り直接口をつける食事作法を持つけれど、箸を使う朝鮮や中国でも、これは無作法である。こうした習慣の背景には、熱が伝わりにくいという性質を持つ木の器を、我々が長い間使用して来たこともあるだろう。
日本の陶磁器には、土の性質からだけではない、これらの影響を見ることが出来るのだ。この地で好まれる、無理に力がかかっていない曲線を描いた輪郭線。明確な線を持ちながら柔らかさを持った面。手取りの軽さ。
漆器に於ける、繊細な挽き物の技術と落ち着いた滑らかな塗りによって金属器を模す、という試みを磁器製品開発に持ち込めないだろうか。輪郭を形成する無理のない線。明瞭に、けれども鋭くなりすぎない面のつながりや使い勝手に沿って配置された部分を追いつつ、古典が持つ機能性と意匠を探る。
“KAORU” タイムアンドスタイル ティーサービス
製造:光春窯 デザイン:猿山修 ブランド:タイムアンドスタイル 制作:東屋
ceramic works: koushun-gama, design: osamu saruyama, brand: time & style, production: azmaya